ゼオと付き合うようになったわたしはなぜかダンジョンジムに行きづらくなっていた。
 やましいことなど何一つないはずなのだが。
 理由を見つけることができるとすれば、それはただひとつ、正宗に会うことがはばかられるためだろう。
 それなら誰もかれもを納得させられる。わたしは正宗のことが好きだったのに、ゼオに好きと言われて、好きと言って、付き合い出したのだ。そう簡単に割り切れるものじゃないと説明すれば、きっとみんな頷いてくれるはずだ。
 だけど、それってほんとう? ふとわたしのこころに疑問が浮かぶ。
 ゼオのことが好きでゼオと付き合いだして、それでどうして正宗に会えなくなるというのだ。正宗がゼオの友達だから? だから会うのが照れくさい?
 残念ながら、少なくとも今のわたしの中には、そんな初々しい感情なんてみじんもなかった。あるのはただ複雑に絡み合った針金みたいな思いだけ。
 正宗とゼオのこと、わたしと正宗のこと、そして最後にわたしとゼオのことを考えて、わたしはため息をついて、目の前のダンジョンジムの建物を見上げた。
 今のわたしにあるのは、ダンジョンジムでの正宗の仲間、友達であるわたしの姿を演じなければ、という義務感だけだ。それでこうしてここに来ている。
 だけどこの前正宗が暗い顔してジムに帰って来たから、わたしにはそれを尋ねることができなかったから、なかなかジムの扉を開ける決心がつかないでいた。
 あんなことがあったから、まだ正宗がここに通っているのか分からない。それでもわたしは、わたしであることを証明するために、この扉を開けて正宗の在不在に一喜一憂しなければならない。
 そんなときわたしの隣に立つ人があった。わたしは静かにそちらを見た。何度もテレビで見たことがある、正宗が日本へ旅立つ前から、何度も何度も、わたし自身でさえ胸を焦がされる思いがした、正宗を惹きつけてやまない、鋼銀河が立っていた。
「鋼銀河……」
「フェリス!」
 本来ならこのとき、わたしだけが一方的に気まずいだけのはずだった。それなのに鋼銀河は目をそらしてちょっと頬を掻いた。わたしはいったんは心底不思議に思ったが、すぐに気がついた。そうだ、あのとき鋼銀河とだってわたしたちはすれ違ったのだ。
「なあ、あんたこのあいだ、……ちょっとデリカシーないこと聞くけど、…ゼオと一緒に歩いてただろ?」
 わたしは驚くほどに冷静だったから、ひとつ短く頷いた。
「ええ。」
 そして休まずに質問を重ねてこようとする鋼銀河を遮る。ここはジムのすぐ前だ、こんなところでこんな話をしていたらコーチが出て来てしまうかもしれない。
 わたしは鋼銀河を促して、通りから少し離れた裏道に入った。
 鋼銀河は言った。
「あんた、ゼオと親しいのか? だったら、何かあいつのこと知らないか。あいつ、様子が変なんだ。正宗のこと、…」
 わたしの聞きたくもないことを言おうとする鋼銀河をわたしは遮って言った。
「それ、正宗が言ったの?」
 わたしの口からは今までにないくらい冷たい声が出た。夢中になったバトルのときだってこんな声は出さない。
「え?」
「正宗がそのことについて聞きたがっているの?」
「いや、そんなことない。あいつは何も言わなかった。」
 冷静に首を振る鋼銀河はわたしの目には何だかこっけいに映った。わたしは冷たく言い放った。
「そう。だったら、わたしからあなたに言うことも何もない。」
 鋼銀河は目に見えてとまどっているようだった。おとなしくて従順だったわたしのこんな態度を扱いかねているようだった。そして何よりも、わたしの冷たい物言いにこころを傷つけられたようだった。
 そのことにわたし自身が傷つけられた。
「…………ごめんね。別に、いじわるしたいわけじゃないの。でも、これは正宗とゼオの問題だから。」
 そしてわたしの問題ではない。鋼銀河には何の罪もないのだ。ただ、わたしはわたしのうっぷんを、ちょうどいい恨みの対象である鋼銀河にぶつけているだけ。
「ねえ、鋼銀河。」
 わたしは鋼銀河に話しかけた。鋼銀河は答えてくれた。
「なんだ?」
「わたしともう一度バトルしない?」

 空駆ける天馬がわたしの視界に焼き付く。かつてテレビの画面を通して見た景色がたった今わたしの目の前に広がった。
 ふと現実に戻されたとき、わたしの頬の横をひとつの弾丸が過ぎる。わたしのオセロットはわたしの少し後ろの壁にぶつかってすぐに止まった。
 かわいそうに壁にめり込んでしまったオセロットを、取る。そしてそれをケースにしまってランチャーもしまって、わたしの鋼銀河とのベイバトルはおしまい。
「はあ。やっぱり負けか……。」
 わたしは鋼銀河に向き直って言った。
「あなたはとても強いね、鋼銀河。正宗が夢中になるのがほんとうによく分かる。わたしも、」
 飛び散る火花がきらめいた。熱いほうこうに魂が震えた。希望を捨てない目に釘付けになった。
「わたしも、あなたみたいなブレーダーともっと戦いたい。自分を強くしたい。負けだって自分の強さへの鍵にしてみせる。あなたと戦えばもっと強くなれる。次へ次へと進んでいける。だからだろうね。」
 わたしは夢中になって喋ってしまっていた。漫然とした怒りが消えないのに、バトルの興奮が抜けきらない。喜びを隠せない。
 少し戸惑っているようすの鋼銀河に、わたしは理性で尋ねた。
「………正宗のようすはどう? 傷ついて、落ち込んでない?」
「一時期は心配だったけどな。今は、ゼオとのバトルをしっかり考えているよ。」
「そう。よかった。正宗は強い子だもんね。ちゃんと前を向いてる。」
 言いながらわたしの脳裏にある姿が浮かんだ。暗い赤毛でとてもハンサムな男の子の姿だ。
 わたしはこころの中のその図を消し去った。そして気を取り直して鋼銀河に向き直る。ブレーダーとしてのわたしの正直な気持ちをぶつける。
「ねえ、鋼銀河。お願いがあるんだけど。」
「ん?」
「もう一度、バトルしよう! 次はもっとうまくやるから!」
「ええっ?」
 だって鋼銀河は強いのだ。わたしなんかじゃとうてい及ばない。
 でもその強さはもっとバトルしたくなる強さだ。向き合っていてほんとうに楽しい、もっとバトルがしたい!
「だめ? だめって言われてもあまり引き下がりたくないけど。」
「別に、いいけど…」
「やった!」
 両拳を握るわたしを見て、鋼銀河は小さく笑った。
「ははっ。なんか、懐かしいな。」
「懐かしい?」
「正宗もさ、日本に来たばかりのとき、何度も何度も俺にバトルをしかけてきたんだ。」
「へえ…」
 実際に懐かしそうに話す鋼銀河は実に楽しそうだった。
「最初は俺がすぐ勝ってたんだけどさ。だんだんあいつ、動きが良くなってきて。」
「うんうん。」
「ああっ、その前に、あんまりしつこいもんだから、バトルするの断ろうと思ったんだけどな。でも、あいつの目がすごく良い目で」
「うんうん。分かるよ、目に浮かぶみたい。」
「それから、気が済むまでつき合おう!って思って。とことんまで倒してやろうって思ってたんだけど、あいつ俺とのバトルの中でどんどん成長してってさ。」
「うん。正宗だもん。」
「それで、最終的には一回、負けちまったんだよ。」
「正宗に? うそ!」
 反射的に二文字の言葉が出ていた。
「本当。」
「すごい……正宗が勝ったんだ。あなたに!」
「ああ。」
 信じられない思いだった。
「わたし、正宗はとても強いと思っているけど、あなたの強さも知っているよ、鋼銀河。わたしもあなたと竜牙選手のバトルを見たもの。あなたは正真正銘の、日本のトップブレーダーだ。
 ……だから、そんなあなたに、正宗が勝ったなんて…」
「あっ、でも、一回だけだからな! それ以来あいつ、なかなかバトってくれなくてさー。俺のほうから何度も再戦申し込んだんだけどなあ。」
 悔しがって再度のバトルを申し込む鋼銀河と、たった一度の勝利で調子に乗ってとたんに偉そうになる正宗のようすは簡単に想像できた。わたしは思わず笑みをこぼしてしまった。
「ふふっ。正宗らしい。」
「ひどいよな、あいつ。」
「うん、ひどいよね。正宗はばかだもん。」
「よく分かってるんだな。」
「当たり前だよ。」
 何の気なしに鋼銀河は言ったみたいだったけれど、その言葉はわたしの胸をぐさりと突き刺した。ずっとがまんしてきた不満が表に出る。
「だってわたしは、…わたしたちは、あなたたちが正宗と出会うずっとずっと前から、正宗のことを知っているんだから。」
 そしてそれよりもっと前から、ゼオたちは正宗のことを知っている。
「ゼオはね……」
 わたしは言った。
「ゼオはね、正宗のことが大好きなんだよ。たぶん、それはわたしじゃ比べものにならないくらいなんだと思う。
 だからだろうね。……悲しいね。好きなら、最初からぜんぶ、ちゃんとうまくいけばいいのに。」
 それはともに、わたしじしんにむけたことばでもあった。だからこそこのときここで言葉が出た。
「ああ、そうだな…」
 鋼銀河はそれだけ言った。その返事に大切なことがぎゅっと詰まっていた。でも、わたしのこのどうしようもない思いの十分の一でも伝わった気がしない。それでもわたしは言うのだった。
「正宗のこと、よろしくね、鋼銀河。今の正宗の仲間はあなたたちだもの。
 2人の決着を、見てあげて。」
 だけどそんなおきれいな言葉じゃ何も片付きはしなかった。汚い感情を冷静さでくるんで、熱く煮えたぎる思いをわたしは鋼銀河にぶつけた。ベイバトルをしたときのように。
「……悔しい。どうして、あなたたちなんだろう。どうして、今の正宗の仲間がゼオたちじゃないんだろう。」
 こんなこと言ったらどうなるかくらい分かっている。どうにもならないのだ。だけど言わずにはおれなかった。
 わたしはずっと、あの三人を見てきたのに。わたしはずっと、あの三人の仲間になりたかったのに。
 どんなに背伸びしたって、わたしは結局はチームダンジョンの一員にはなれない。ただ同じジムでともに過ごしていたってだけ。
 だけどわたしは、あの黄金の三角の中で笑っている正宗が好きでもあったから、それでよかったはずだったの。
 それなのに、なんで突然出てきたあなたに、正宗をとられないといけないの。きらきら輝く三角形の大切な頂点をとられないといけないの。なんで。どうして。
 わたしだって正宗の隣に立ちたかった。ずっと正宗を見てきたわたしじゃできないのに。ぽっと出の他人がいともたやすくその位置についている。理不尽だ。世の中って不公平だ、悲しすぎるくらいに。
 鋼銀河はしばらく黙っていた。これじゃいけないと思ってわたしが言葉を訂正しようとしかけたときに、鋼銀河はおもむろに口を開いた。
「……俺さ、ライバルがいるんだけど。」
 よく分からないけどわたしは応じる。
「盾神キョウヤ選手のこと?」
「ああ。日本代表選考のとき、俺はあいつと一緒に戦えるのかと思ってたんだ。だけど、あいつはわざわざ代表を辞退して、他の国にいっちまった。」
「うん。知ってる。あなたと戦うためだよね。」
 国を捨ててまでライバルと戦うことを目指すだなんて、とてもすてきだと思ったものだ。
「おう。それで俺は、世界大会っていう舞台で、キョウヤとバトルをした。すごく熱いバトルだった。俺の全力を出すことができたと思う。」
「うん…。もちろん、見たよ。とても良いバトルだった。」
 鋼銀河はわたしにひとつ提案するように言った。
「だったらさ。ゼオと正宗も、熱いバトルができるかもしれないんだぞ? 俺とキョウヤがあのときしたような、……いや、キョウヤとだけじゃない、世界大会で俺は、いろんな選手と熱いバトルをしてきた、そんなバトルを、さ。仲間じゃなくたってベイは楽しいぞ。」
「…うん……。」
 でもそんなことは、鋼銀河と盾神キョウヤ選手だからこそできるものだとわたしは思っている。盾神キョウヤ選手を構成する、あの、自分自身からだすべてを使った野生的な戦い方、鋼銀河に対する執着、ベイにかける熱い思い、そういう要素ひとつひとつがあったからこそなせる技なのだと。
 頷きながら、何だか現実味のない思いだった。そんなわたしを見て、鋼銀河はわずかに笑って付け足した。
「じゃあ、こう考えればいいんじゃないか? いつかはあいつらだって、3人の中でのナンバーワンを決めるために、バトルをするはずだったんだ。それが、この世界大会決勝になったってこと。正真正銘、世界の一番を決める戦いだ。最高の舞台じゃないか。
「…でも、3人じゃないよ。トビーがいないよ……」
 わたしは知らず知らずのうちに、大人にすがる子供みたいに言っていた。鋼銀河は不敵に笑って答えをくれた。
「正宗、言ってたぜ。世界大会で正宗とゼオがバトって、トビーは勝ったほうとバトルすればいいんだ、って。」
 その言葉がやっとわたしのこころにまで届いて揺さぶった。まっくらだった三寸先が明るく開ける。
「すてき……!」
「だろ?」
 でも開けた先には希望とともに不安もある。正直な気持ちが言葉になって出た。
「でも、できるかな。あの二人に。」
「俺さ、正宗と一緒に戦ってきて思ったんだけど、……」
 頼れるお兄ちゃん面した鋼銀河はなおもわたしに指針を与えようとしてくれた。けれどもここでやっとわたしに意地が戻って、わたしは鋼銀河の言葉を遮った。
「言わないで、それ以上。わたしだって知ってるもんそれくらい。」
「ははっ、そうだな。」
 鋼銀河は笑った、楽しそうに。その笑顔はきっと、正宗が恋をして海を越えてまで会いに行った笑顔だ。もしかしたらその恋は、わたしの簡単にさよならできた恋よりもずっとずっと強かったのかもしれない。
 なんて、そんなことを考えながら。わたしは明るく開けた未来を前に、希望だって少しは見つけていたけれど、たくさんの不安を前におびえていた。
 ほんとうにできるのかな、あの二人に。ううんわたしはずっと二人を見てきたから知ってるよ、正宗にできなかったことはひとつもないよ。だって正宗は鋼銀河だって倒してみせたんだもの。
 だけど臆病なわたしがすぐに顔を出す。怖い。二人の衝突を見るのが怖い。世界大会決勝戦なんて見に行きたくない。
 それでもわたしは行くだろう。せめてもの意地で二人の友達の姿を演じきるために、ひとすじの希望を胸にして、不安の中に身を投じるだろう。