わたしはわたしの家から歩いていける距離にはある**通りにあるジムに入ることになった。
 ジムとは、ベイブレードのジムだ。
 ベイブレードとは、コマを飛ばして勝負する遊びらしい。
 契約書に名前を書いたわたしはそれだけでジムの一員となった。とはいえ、名前を書いたという行為だけで楽しそうな声の一員となれるわけではない。
 一瞬だけわたしは手持ちぶさたになったが、それはあくまで一瞬だけのことだった。
「なあなあ、さっそくオレとバトルしようぜ! ベイ持ってるんだろ!」
「あ……うん。」
 ジム所属のひとりである正宗という少年がわたしを「バトル」なるものに誘う。言葉からしておそらくそれがベイブレードの醍醐味なのだろう。
 わたしは知らない人と話すのも男の子と話すのも苦手だったので、元気で明るい正宗に対してうまく受け答えができないでいた。それでも正宗は輝く笑顔を捨てもせずに、変わらずわたしに接してくれる。
「なんてベイなんだ? 初めて見るやつだな! おっレイウィールじゃん、オレとお揃いだな!」
「そうなの。ええと…」
 出てくる単語がもはや意味が分からない。レイウィールとはいったい何のこと? お揃いとは正宗と? わたしはしどろもどろで返事することもままならなくなって、けれどももちろん正宗との会話を打ち切ることなんてできなくて、したくなくて、ただ困り果てた。
 するとそのとき、わたしと正宗の空間にごく自然に入り込んできた少年がいた。
「レイオセロットだね。バランスタイプのベイだ。」
 明るい茶色の髪はまっすぐに肩より長い。わたしと同い年くらいに見えるのに、いやに物腰は落ち着いている。紫色した目は少しきつめだけれど、目つきは優しげで、女の子みたいにきれいな顔をしていた。
「なんだそれ。強いのか?」
 正宗の率直な質問にも少年は自然に答える。二人は仲が良いのだろうか。
「そうだね…正宗やゼオの好きな、徹底したアタックタイプというわけではないけれど。攻守共に優れた、可能性の広いベイだよ。」
「そうなの…?」
「知らなかったんだ?」
「うん。わたし、このベイに出会ったばかりで…」
「そうなんだ。ちょっと見せてごらん。」
 少年が手を伸ばしたのをわたしはすんなりと受け入れて、出会ったばかりでよく知らないベイを出会ったばかりでもっとよく知らない彼に預けた。
 少年はベイを手の中でくるくると回して観察する。
「トラック−ボトムは、M14TSFだ。なかなか瞬発力がありそうだね。」
 トラック? ボトム? やっぱり単語が分からないまま、わたしは少年のベイを扱う指が優しくて白くてきれいなのを何となく感じていた。
 少年はわたしに向き直ってほほえみかけた。
「性能をよく知らないなら、とにかく実戦あるのみだよ。よかったら後でぼくともバトルしてよ。」
「う、うん…あの…」
 とりあえず頷いたわたしは、それだけでは何かどこか物足りないものを感じてあいまいに言葉を続けた。それをどのように解釈したのか、少年は、ふと気づいたようにこう言って笑った。
「ぼくはトビー。よろしくねフェリス。」
「フェリス、まずはオレとだぜ!」
 わたしがトビーと名乗った少年によろしくと言い返す前に、正宗が声をあげた。
「ば、バトルって……」
 わたしが戸惑っていると正宗が返事も待たずに気を利かせて、わたしをジムに入れたときより親切めに引っ張っていく。連れて行かれた先は、何かお椀形の大きなくぼみの前だ。正宗がお椀を挟んで向かいに立つ。
「構えろよ!」
 しかし正宗はそれ以上は気を利かせてはくれなかった。彼はそうとだけ勇ましげに言って、「構える」。手には何か言いがたい、あえて言うなら銃のような機器を持って、その下部にベイを装着して。
 わたしもこの手に持ったベイで何とかしたかったが、あいにくわたしはベイ以外には何も持っていなかった。何にもできるはずがない。
「シューターを持っていないのかい? ぼくのランチャーでよければ貸すよ。」
 そこに助け船を出してくれたのがトビーだった。トビーは正宗のものと同じ機器をわたしに手渡してくれた。これがシューター、ランチャーというものなのだろう。
「…あ、あの…」
 そのものを手に入れて名称を察したからといって、やはりわたしにできることはない。わたしは使い方を知らないのだから。
「遠慮しないで使っていいから。」
 わたしが動けないでいるのを違うほうに解釈して、トビーはさわやかな笑顔でそう言った。けれども違う、違うのだ。わたしが困っているのはその点についてではなくて。
 わたしは何とかしたかった。でもどうすればいいのかが分からなかった。もう、何が分からないのかも分からない。
「いくぞ!」
 だからわたしの時間は止まったままだったが外では違う。突然何だか周りでカウントが始まって、それも「3」からで、他にやりようのなかったわたしはとにかく目の前の正宗のまねをした。
「ツー!」
 機器の下部にベイを引っかけて、飛び出ていて握りやすい部分を握る。
「わ、ワンっ!」
 最後だけ共にカウントできたとき、もちろんその後何が始まるのか分かっていなかったわたしの前で、正宗が大きな声で言った。わたしはとっさに正宗のまねをした。
「ゴーシュー!」
「しゅ、シューッ!!」
 少しだけ遅れてわたしも正宗に習ってひものようなものを引いた。そしてくぼみの中でベイが回りだした。正宗のものだけが。
「…………。」
 わたしは泣き出したい気持ちでわたしの足下に落ちたベイを見つめた。
 これにはわたしの目の前の正宗はもちろん、トビーまでもが沈黙した。だからなおさらわたしの気持ちは落ち込んで、立っているだけで恥ずかしい思いだった。
 そして続く沈黙の中、さすがのトビーが助けてくれるよりも前に、軽快な笑い声がその場に乱入した。
「はははっ!」
 わたしと正宗とトビーが笑い声のしたほうを向く。
「なんだよ、シュートもろくにできないなんて。ひどいな。」
 このとき現れた、整った顔立ちなのにいじわるそうに笑った暗い赤色の髪の少年が、ゼオ・アビスだった。