結局あのあとトビーが赤い髪の少年をたしなめて、けれども正宗は彼に対してにこやかで、わたしがただただショックと恥ずかしさで呆然と突っ立っているうちに、その場はお流れになった。いやな感情に満たされる中でゆいいつ分かったのは、どうやら正宗とトビーとゼオの三人が仲良しらしいということだ。
 わたしはトビーやコーチに質問を立て続けにされ、それでようやくわたしのベイの初心者であるところを説明した。
 というわけだから、わたしはコーチからわたし用の練習メニューをいただくこととなった。トビーというすばらしい専属アドバイザー付きで。コーチはジムのコーチだから、わたしひとりばかりに付き添うわけにはいかない。
「ベイを打ち出すものがシューター。これはランチャー。」
「ベイは4つの部分からなっていて、上からフェイス、ウィール、トラック、ボトム。」
「ベイを場に打ち出すことがシュート。シュートは3から始まるカウントのあとに同時に行う。」
「うん。うん…」
「どうした、フェリス?」
 意識しないでも頷く声が力なくなってしまった。トビーが心配そうにわたしを覗きこんでくれる。
「あの、トビー。赤い髪の男の子のことなんだけど…」
「ああ、ゼオのことかい?」
「うん…。ゼオに、わたし、笑われちゃった。」
 そう言うとトビーは眉尻を下げた。
「ごめんね、ゼオが。びっくりしただろう?」
「う、ううん、トビーが謝ることなんてない! へたなわたしが悪いの。」
 まだ少し話しただけだけれど、すぐに分かる。トビーは良い人だ。トビーはわたしの言わんとするところをすぐにくみ取ってくれるし、わたしのゆっくりな話し方にも付き合ってくれる。
 だからわたしは言うことができた。
「……ゼオに、わたし、嫌われてるのかな…」
「そんなことないさ。ゼオは良い奴だよ。ちょっと新入りのきみをからかいたいだけで。」
 からかわれているだけだったのだろうか、あれは。
 男の子の付き合い方がよく分からないわたしには、とうてい理解しえないことのように思われた。
 わたしが何も言えないでいると、トビーは続けて説明した。
「実は正宗も、このジムに来たばかりのとき、最初に衝突したのがゼオなんだ。ゼオが彼を道場破りと間違えてさ。」
 わたしはそう言われて、ジムの中を見回した。練習している正宗が目に入る。練習しているゼオが目に入る。なんだか言い争いのようなことをしている。
「でも今は、正宗とゼオは仲良しだろ? きみもすぐにそうなれるよ。」
「………そうかなあ…」
 わたしは不安でいっぱいだった。

「こうだよ、フェリス。うん良い感じ。」
 何はなくともまずはシュートができるように、わたしはトビーにランチャーの持ち方を教わっていた。
 これがなかなか難しい、というよりは、ベイ初心者のわたしにはすべてが難しいことだったのだが。
 それでもトビーの親切な教えもあってか、あと一歩でわたしはストリング(と、いう部分らしい)を引けるというところにまで達していた。
 そんなときだった。
「へたっぴだなあ。ランチャーの持ち方くらい、いいかげん覚えたか?」
「ゼオ!」
 わたしは持ち手を握って構えた状態のままで固まった。ゼオがやって来てつまりわたしをからかったのと、トビーがそんなゼオをたしなめるのが視界に映る。
「ほらほら、こうするんだよ。できるか? 落とさないようにな!」
「あまり彼女をからかったらだめだよ、ゼオ。まだ入ったばかりで、緊張してるんだから。」
 わたし自身が話題の真ん中にいるのはよく分かるが、だからといってどうすればよいのかは分からない。わたしには何かを言うということができずにただ止まって二人の会話を聞いた。
「じゃあトビーがおれと一緒に練習してくれよ。そのほうが楽しい。」
 そのときわたしは静かに悟った。それがゼオの本心なのだ。
 ゼオはトビーや正宗のことが好きだから、彼らと話す新入りのわたしが気に入らない。その一心で、わたしにからんでくるのだ。
 わたしはゼオというひとのことはまだ全く知らないけれど、それだけが分かった。なぜだろう。
「でもぼくは、コーチに彼女に教えるよう言われてるんだ。ゼオもメニューがあるんだろう。」
「…………。」
 ゼオが不機嫌そうな顔して黙る。わたしはようやく固まった姿勢を直して、おずおずとトビーに切り出した。
「あ、あの、トビー……。わたし、言われたこと、ひとりでやるから。トビーはゼオといっしょでいいよ。」
 するとトビーは困ったような表情をした。
「きみは気を使わないでいいんだよ、フェリス。うーん、どうしようか…」
 そしてこのとき場に加わる声がもうひとつ。
「なんだなんだ、楽しそうだな! オレも混ぜてくれよ!」
「正宗!」
 ほら見たこと、正宗がやって来たときのゼオの表情の変化。
 不機嫌そうなのはあいかわらずだったけれど、それとは無関係によく分かる。

 充実した一日はあっという間に終わってしまった。
「はー、今日もたくさん練習した! 昨日よりうまくなってっかな、オレら!」
「きっとなってるよ。昨日より今日、そして今日より明日だ!」
 ちょうど終わる時間にわたしがトビーといっしょにいたので、正宗が寄って来て、ゼオが寄って来て、結果としてわたしは三人といっしょに帰ることになっていた。
 楽しそうに話す二人の背中を見ながら歩く。そんなとき正宗がわたしに振り返って言った。
「もっとうまくなりてーなー。な、フェリス! ベイブレード楽しいだろ!」
 驚いたことに、このときわたしはごく自然に頷いて、大きな声で返事をしていた。
「うん! すごく楽しいよ!」
「フェリスもきっとすぐにうまくなるよ。」
 トビーが優しく笑いかけてくれる。わたしもきっと笑顔だっただろう。隣を歩くゼオのことは一時だけ忘れて。
「フェリスも同じ方向なの?」
「う、うん。こっち。」
 ほんとうは同じでも何でもなかったけれど、他にどう言えばいいのか分からなかったから、わたしはばかみたいに頷いてしまっていた。このまま歩けば家までずっと遠回りして帰ることになるだろう。
 ゼオが口を開いた。
「この先、おれの好きな菓子屋があるんだぜ。買ってこ!」
「ゼオはほんとうに好きだなあ。」
 道沿いに屋台を出したお店があって、ゼオはそこで買い物を始めた。
 わたしもこの店は知っている。見たことがあるからだ。買い物をしたことはないけれど。
「おう。ほら、トビー、正宗、やるよ。」
 大きなバケツにきれいな色した飴が入ったものをゼオは購入した。中からみっつ取り出して、トビーと正宗にひとつずつあげる。
「……フェリスも。」
 そしてわたしにも。
「あ、ありがとう。」
 わたしは驚きはしたものの、驚きはなるべく抑えてゼオからもらった飴を口の中に放り込んだ。慣れ親しんだ甘い味がする。
 それを口の中で転がしながら歩いていると、分かれ道がやってきた。トビーがみんなに振り返って明るく言う。
「じゃあぼくはここで。グッバイ! 正宗、ゼオ、フェリス!」
「じゃーな! 2人とも! 仲良くするんだぞ!」
 そしてしばらくしてから正宗も。
 つまり、わたしはゼオと二人きりになってしまった。
「(えええーーーっ!?)」
 別に帰り道でもないのに流されるままに付いて来たのだから当然といえば当然である。こんなことになるんなら、欲を張らずに、適当な道で先に分かれてしまえばよかった。
「…………。」
「…………。」
 沈黙が肌を突き刺す。わたしには話を切り出すことなんてできない。わたしにはゼオがどんな人なのか分からないから、話してもいいことすら見つからない。
 早く分かれたかった。しかし無情にも目の前にはひたすら続く一本道。
「(うう、こわいよう……。やっぱりわたし、きらわれてるんじゃないの…)」
「あ、おれはここだ。」
 長いこと歩いてふとやってきた分かれ道。わたしは心から安心してその分かれ道を大歓迎した。
「そ、そうなの。」
 分岐路でぎこちなく立ち止まって、わたしは来るべき時を待ち受けた。
 ゼオが別れ際にこちらに振り向く。片手を挙げて、満面の笑顔で言った。
「じゃーなフェリス!」
 わたしは反射的に義務的に何となく手を振り返しそうになった。けれどもすぐに気がついた。ゼオの笑顔のすてきなこと、明るい声でさよならを言ってくれたことに。
「…ばいばい!」
 わたしも満面の笑みで言い返した。


 翌朝になって、早起きしたのだけれど準備に手間取ってしまって日も高く昇った頃、わたしはジムの扉を自分から開けた。
 入った先にちょうどいたのがゼオで、わたしは条件反射的に身を構えてしまう。
「お、また来たのか。ヘタのくせによく来るなあ。」
 ゼオがいじわるそうに笑ってわたしに言う。でもその笑い方は別にぜんいじわるなんかじゃないってことをわたしはもう知ったはずなのだから、わたしは勇気を振り絞って声をあげた。
「あっ、おはようゼオ! 今日もがんばろうね!」
 だって、ほら、わたしが大きな声であいさつすれば、ゼオだってふつうに笑って返してくれる。
 ぜんぜん、怖くなんて、ないのだ。
 わたしは軽い足取りで奥へと進んで、途中すれ違ったトビーと正宗にもあいさつをした。
「おはようトビー! おはよう正宗!」
 まだまだ先は長いけれど、わたしは最初の一歩を踏み出せたような気がしていた。