たとえ正宗がいなくなって悲しくても身体は寝た。気持ちは寝たつもりはなかったから起きた気分にもならない。それでもわたしは身体を起こして、日課を淡々とこなす。いつも決めて行っていたことだから考える頭はいらない。楽だ。
 弟たちのために作った朝ごはんを机の上に置いてわたしは家を出る。出てもわたしには行くつもりのところなんてないけれど。
 ジムにはしばらく行っていない。理由を探す気力すらわたしにはなかった。
 だから、外に出る目的はない。けれどゼオに会った。
「…ゼオ……!」
 仲良し三人組は、わたしがどこに住んでいるのかを知っている。一度、ジムにしばらく行かなかったわたしを気にかけて、三人が訪ねてくれたのだ。あのときは三人だったけれど今はもう一人だ、正宗もトビーもいない。
 悪い言い方をすれば幽霊みたいに建物と建物の隙間からぬっと姿を現したゼオは、無表情で歩いてきた。わたしにはそれを不思議に思い尋ねるだけの気力もない。ただその場に立ち止まってゼオを待つ。わたしのすぐ前で立ち止まったゼオは、わたしを見下ろして、
「……目、腫れてる。やっぱり泣いてたんだな。」
 そう言ってわたしの目元を指でなぞった。
「ジムに行ったら、正宗が日本へ発った日からフェリスが来ていないってみんなが言うから。来たんだ。」
「…………。」
「正宗のことで泣いてたんだろ。正宗が行っちまって悲しかったから、だから泣いてるんだろ。」
「…………。」
「ひどいよな、正宗。行っちまって。自分勝手だ。」
 見下ろすゼオの瞳が暗い色をたたえている。わたしはその事実と言われた内容に、反射的に、返事をするだけの力を取り戻した。
「…そ、そんなことない! 正宗、ベイにがんばってるだけ。だけなのに、泣くわたしがおかしいの。
 正宗を応援しなきゃいけないのに。わたしは自分のことばかり考えてた。」
「…おまえはいつもいつも、正宗、正宗……そんなに正宗がいいのかよ! おれたちを見捨てたあいつが!」
「!」
 わたしはびくりと身を震わせた。ゼオだ。ゼオが、発言している。他の誰でもない、わたしの目の前にいるのはゼオだ。
 あまりにとつぜんに怒られ、どなられたが、分からない意味やあまりの理不尽を問うだけの冷静さ賢明さはすでにわたしには残されていなかった。
「おれたち3人で、ナンバーワンになろうって約束したのに! それを忘れてあいつはひとりで日本に行っちまったんだぞ!」
 ゼオは食い入るようにわたしを、いや違うわたしをとおして正宗を見て、吼えた。密度の大きい声がわたしのからだを揺さぶりこころ全体を揺さぶる。
「…………。」
 それはちがうよ、ゼオ。わたしは心の淵で思った。
 いちばんだから、ほんとうはさいしょからひとりなんだよ。
 最初からずっと思ってた。たとえタッグバトルでだって、ベイバトルをやっているときの人はみんなひとりだ。わたしも、あなたも。
 けれどもわたしにはそれを言うことができなかった。気持ちを露わにするゼオに、なにかを言うことができなかった。
 ゼオはわたしからは視線を外した。けれどもいつだってその目が追いかけている人がいる。
「……おれさ、」
 ゼオはわたしを置いて少し先に進んだ。ゼオは、わたしに背中を向けていた。顔が見えない。ゼオは喋る。
「HDアカデミーに引き抜かれたんだ。これからそこでベイの練習をする。」
「え……?」
「だから、もうジムには行けない。」
 わたしはその言葉を聞いてがくぜんとした。
 ベイバトルをやっているときの人はいつだってひとりだ。それでも、人間はひとりぼっちではないのだ。いろんな人に支えられて、支えて、生きている。
 だからゼオにとって、あの仲良し三人組や、ダンジョンジムが、そんな場であればいいなとわたしは思っていた。そう思っていたのだ。なのに、
「ジムに来られないって……」
「忙しいんだよ、あそこ。気を抜いたらどんどん置いて行かれる。その中で勝ち抜かなきゃ。」
 なのに、ゼオがジムに来られなくなるだなんて!
「でも、局長がおれの才能を見抜いてくれたんだ。あそこでなら、おれは強くなれる。誰よりも、正宗よりも。」
「(だめ……!)」
 わたしは反射的に思った。そんなことをしたら、ゼオはほんとうにひとりになってしまう。
 そんなのだめだ、ぜったいにだめだ。あのジムでずっと一緒にがんばってきたのに、それを捨ててしまうなんて。
 しかしわたしの口から出てきたのは、まったく正反対の言葉だった。
「……よかったね、ゼオ!」
「…………。」
 ゼオは振り返らない。
「ずっと言ってたもんね、自分には才能があるって。それを見つけて開花させてくれる人に出会えて、ほんとうによかった。」
 わたしはなかばやけになってまくし立てた。こんなときだというのに声が、声だけが明るくなった。
 そう、声が言ったとおりなのだ。わたしが勝手に感じることなんてお話にならない。わたしのわがままだ。
 ゼオが才能を認めてもらえて、そこに行くことを選んで、そして彼の目標であった強くなることに一歩近づこうとしている。それはつまり正宗やトビーの目指した「ナンバーワン」に一歩近づくということである。それをどうして「だめ」などと一言で片づけてしまえるだろうか。
 そんなの最低なことだ。
 ゼオはぽつぽつと話す。
「……アカデミーに行く交換条件に、トビーのことがあるんだ。おれがあそこに行けば、トビーをもっと良い病院に移してやれる。」
「…そうなの。それは、よかった。」
「でも、おれ、もうジムには顔を出せない。」
 その言葉は重たくわたしの心にのしかかった。
「だから、フェリス。」
 ここでやっとゼオは振り返った。顔にいつものあの、今となってはなんだか懐かしい笑みを浮かべて、わたしを見る。
「たまにはおまえの顔を見に、ここに来てもいいかな。」
「………もちろんっ!」
 わたしは力一杯頷いた。
 心から正直に、ゼオのお願いが嬉しかったのは理由のひとつ。
 そしてもうひとつは。
「(……それが、ゼオ、あなたのお願いなら。わたしはいくらでも聞くよ。)」
 トビーも正宗も遠くに行ってしまったわたしには、大切なものが少なすぎたのだった。