世界大会、決勝リーグのエクスカリバー戦にゼオが出ていなかった。 
 それ以前の最後にわたしが見たゼオは一見元気そうなゼオだった。わたしが見たくもない虚構の笑みを顔に貼り付けてわたしに手を振った。だからわたしは不安になった。ゼオが元気そうなときに元気だったことなんて一度もない。
「ゼオ! おかえりなさい!」
 だからわたしは、ゼオがまたいつものようにわたしのうちを訪ねてくれたとき、心から安心して、抱きつかんばかりにゼオを迎えたのだった。
 あいさつもそこそこに、立ち話にならないようにわたしはわたしの部屋までゼオを招き入れる。部屋にはベッドしかなかったのでそこにゼオを座らせた。わたしは立ちっぱなしでいい。
 そして今日もわたしは口をつぐんで、ゼオが何か話し出すのを待ちながら、ゼオがいやな気持ちにならない話題を必死に探し始めるのだった。
 今日はゼオが先に口を開いた。けれどもそこから出てきたのは、わたしがあまり聞きたくはなかった言葉だった。
「フェリス。おまえはおれに、聞きたいことがあるんじゃないか。」
「な、なに……? 何もないよ。」
 きわめてふつうに努めてわたしはふるまう。ふつうというのは文字どおり普通のことで、つまりわたしは必要以上に冷静にもならなかった。少しだけ声に不安の色が混ざった。
「なあ。」
「ないよ。」
「うそだ。あるだろ。」
「ないって。」
「正直に言えよ。」
「ないってば!」
 複数回のやりとりのあと、わたしはついには普通をぶち壊した。頭がすーっと冷めて、なおかつ、心にぼっと火がつく。
「わたしはなにも聞きたくない!」
 今まで従順だったわたしについに起きたかんしゃくに、ゼオは信じられないようなものを見る目でわたしを見た。わたしにはそれが見えている。それがよけいにしゃくだった。
「フェリス……?」
「気になることはたくさん、たくさんあるけど、聞きたくないよ!
 だってゼオは言いたくないんでしょ!? だから何も話してくれないんでしょ!?」
 わたしはスターブレイカーとエクスカリバーの試合を見た。わたしはスターブレイカーの強いことはよく知っていたけれど、知っていたからそのときのスターブレイカーの異常なまでの強さに恐怖を抱いた。
 本当は最初からおかしかった。それでも最初は気にもとめなかった。けれどもスターブレイカーは、一試合ごとに、その成長の速度の増加の傾きすら増加させて、ひたすらに加速しながら強さを増していったのだ。
 大会が進行するにつれてわたしの疑問は大きくなった。そしてついに先日の試合で、疑問は確固たる恐怖に変わった。
 あの強さは、おかしい。
 きっとみな試合ごとに得た経験を生かして強くなっていくのだろうけれど、あれは、スターブレイカーは、そういうお話ですらなかった。
 次に生かせる経験を得るような試合をしなかったのである。ただ彼らは力のままに相手をなぎ倒し、試合のたびに強くなり、さらに圧倒的な力で相手を打ちのめす。わたしが世界大会で見てきたアメリカ代表の試合はそういうものだった。
 それが先日のエクスカリバー戦で、あのガンガンギャラクシーが苦戦したチームを、あの鋼銀河が苦戦したシーザー選手を、あざ笑いながらもてあそんだ。
 明らかに、アメリカ代表の戦い方はおかしい。
 そしてわたしの考えが行き着いたのがゼオのことである。ゼオだってスターブレイカーの一員だ、あの異様な戦い方をした。先日のエクスカリバー戦こそ姿を見せなかったが、それでもわたしはゼオの戦いを、世界大会初戦から何度も見ていた。
 そしてそれより前のゼオの戦いも、何度も。
 あからさまな言い方をしてしまえば、ゼオのこの短期間での成長の仕方は異常だった。それとゼオがHDアカデミーに入ってからたびたび見せる具合の悪そうなようす。わたしはゼオがHDアカデミーでいったい何をしているのか、されているのか、気にしないときはなかった。
 けれども何も聞かなかった。ゼオが何も言わなかったからである。
 何をしようとされようと、ゼオが自分の意志で行った場所でがんばっている。強くなりたいという望みを叶えている。それにわたしがどうして口出しできるだろうか。
 ゼオはがんばっているのだ。わたしはただ、がんばるゼオの力になれればそれでよかったのだ。何かを聞きたいなどとは思わない。
「聞いてしまったら、今の関係が崩れてしまいそうでいや。わたしはあなたに都合の良いだけの人間でいい。疲れたときに帰って来てくれればいい。わたしはずっと待っているから。
 理由もいきさつもわたしは聞かなくていい。聞きたくないよ……。」
「フェリス……。」
「それなのにひどいよ!」
 わたしは気持ちをぜんぶぶちまけた。
「聞きたくないけど、あなたがつらい理由をわたしは知りたいよ。もっとあなたを楽にしてあげたい。もっとあなたの役に立ちたい。
 でもあなたはそれをずっと拒んできたんだもん。だからわたしはずっとがまんしてきたのに。
 なのになんで、今更、そんなこと言うの……?
 わたしはどうすればいいの……?」
 そして最後にはわたしは泣き出してしまった。無力な自分が悲しい、悔しい。ゼオの役にも立てない自分が嫌いだ。
 結局こんなふうに泣きわめいてしまうことしかできない自分が、そうしてゼオに迷惑をかけてしまう自分が、大嫌いだ。
「違うの、ほんとうはこんなことが言いたいんじゃないの……。わたしはあなたの役に立ちたい。なのに、ごめんね。こんなこと言ってごめんね……。」
 謝ったってそれがさらに迷惑になることくらい分かっている。それでももうわたしには、ほかにどうすることもできなかった。涙が止まらない。
 止まらない涙の向こうで、ゼオがベッドから立ち上がったのが分かった。そしてゼオはつかつかと歩いてわたしの目の前に立って、ゼオはわたしなんかよりずっと背が高いからゼオの胸元だけが見えるようになる。
「じゃあ、フェリス。おれと付き合えよ。」
 ゼオの声が上から言った。わたしははっとしてゼオの顔を見上げた。ゼオの目がわたしを見ている。
「おまえが好きだ。正宗のことなんか忘れて、おれのためだけに泣いてくれ。」
「正宗………」
 ゼオの告白に対してまっさきに出てきたのは、目の前にいるひとの名前じゃなかった。
 それがいけなかった。
「………だよな。」
 ゼオの落胆した声。
「おまえは正宗が好きなんだもんな。やっぱり。しょせんおれに構うのなんか同情だ。」
 ゼオのその言葉にわたしはがくぜんとして立ち尽くした。そんなわたしを置いて、ゼオはまたベッドまで歩いて戻ってそこに座る。
 わたしはゼオを傷つけてしまった! わたしのことを好きだと言ってくれたゼオを、ほかの誰でもないわたしを選んでくれたゼオを。
 ゼオを。わたしの大好きなゼオを。
 ゼオ。正宗もトビーもいなくなって、それでもわたしの傍にいてくれた、輝く三角形の最後のひと。
 ずっと身近に転がっていたはずの決意をするのに時間はいらない。わたしは目を閉じた。
「(…さよなら、わたしの恋心。)」
 わたしは心の中だけでそっとわたしに告げた。目を開ける。わたしは歩を進めてゼオの前に静かに立つ。幅の広い男性の肩に手をかけて、それでも少し足りなかったから膝でベッドの上に乗って、上からゼオを見て、顔を近づけて、ゼオの青い目を見て、この世界に二人だけになって、ゼオにキスをした。
 目を閉じて唇と唇を触れさせる時間はまるで一生分の長さであるようであったけど、実際はそんなに長くはなかっただろう。
 少しだけ驚いたみたいなゼオの目を見ていられない。わたしはゼオの首に腕を回してゼオにぎゅっと抱きつく。
「ゼオ……」
 ほっぺが熱い。胸がどきどきする。ゼオの体温だけを感じてわたしは言った。
「聞こえる? わたしの胸の音。今、すごくどきどきしてる。わたし、こんなこと初めてだから、すごく恥ずかしいよ……。
 同情じゃ、こんなに恥ずかしいこと、できないよ。」
 目を閉じる。わたしの心にゼオだけを浮かべる。わたしがずっとずっと誰よりも尽くしたいと思ってきたゼオだけを。
「ゼオ。」
 ゼオの名前を呼んだ。わたしは言った。
「わたしもあなたのことが、好き……。」
「ほんとにか!?」
 ゼオに密着していたからだを引きはがされる。それでいやでもゼオの顔を見させられて、きっと赤くなっているだろうわたしの顔を赤い頬のゼオが見た。
 わたしは熱いほっぺのまま答えた。
「ほんと。何度も言わせないで…。」
 困り果てたわたしをつれて、ゼオはベッドに倒れ込んだ。体勢が変わってゼオがわたしの上になり、ゼオは再度わたしに尋ねる。
「なあ、何度でも言ってくれ。おれのことを、なんて?」
「……好き……。わたしはゼオが好き、大好き!」
 わたしは少しやけ気味になって言った。言葉にうそはない。言葉には。
「………ははっ。おれもフェリスが、好きだ。」
 そのとき、ごく自然な動作の一貫としてゼオは軽く笑った。その笑みにあまりに懐かしい日差しを感じて、いっぱいになった思いが涙になってわたしの頬を伝った。
「フェリス!?」
「ゼオが……やっと、前みたいに笑ってくれた……」
「なんだ、そんなこと…」
「そんなことじゃない!」
 今分かった。わたしがずっと望んでいたこと、願っていたこと。わたしにとってかけがえのないもの。
「…今分かった。わたしはずっと、その笑顔が見たかったんだ。いつもがんばるあなたの、おひさまみたいなその笑顔…。」
 わたしはその笑顔を見るために今までがんばってきたのだ。
 そのためなら何もいらない。わたしの安い恋心だって。
「いくらでも見せてやるよ。おまえがそばにいてくれるなら!」
「…うん…うん…」
 わたしは涙ながらに何度も頷いた。
 今やっと、初めて、ゼオの心に手が届いた気がした。



 悲しみによるものではない涙を流すフェリスをおれは抱きしめた。
 後ろ頭に手で触れて、柔らかい髪を撫でる。フェリスは抵抗しないでおれのされるがままになっている。
 あるときおれは、目の前のフェリスを通して、彼女がずっと思い焦がれていた男を見た。おれが憎んでやまない男だ。
 やっとおまえに勝ったぞ、正宗。
 ざまあみろ。