| わたしはこの日、荒野を挟んだ隣街にあるHDアカデミー本部のビルを訪れていた。 地理にはあまり詳しくないわたしでも、ゼオが話してくれた数少ない情報だけですぐに辿り着くことができた。それくらい、このビルは大きくて中心部にあった。 「ハデス…インク?」 どうやらそういう名前の会社らしい。案内掲示板を見ると、その本社ビルの中にHDアカデミーがあった。 正面入り口にある大きな階段を二段三段と上がって中に入る。内装はとてもきれいて立派で、なんだか世界が違う感じがした。 少し進んだところに受付があって、そこに女の人が立っていた。わたしはその人に声をかけた。 「すみません。アカデミー所属のゼオ・アビスにお取り次ぎ願いたいのですが。」 「分かりました。」 こういうやり方でだいじょうぶなものか不安だったが、女の人はひとつ頷くと受付の向こうで何か機械を動かし始めた。そして口元のマイクに呼びかける。 「No.**ゼオ・アビス、来客です。至急エントランスまで。」 通信を切り、女の人はわたしに少々お待ちくださいとだけ言った。何だかいやに機械的である。別にそれがいやな気分になるとかじゃないけど。 少し待っているとゼオが階段を降りてやって来た。わたしの顔を見て驚愕する。 「フェリス!」 ゼオはすぐにわたしを連れて外に出た。少しだけ歩いて、どちらかといえばビルの裏手の方にまわる。 いつになく大人で凛々しいゼオを前にして、わたしは持ってきた荷物をからだの前でぎゅっと握りしめて、少しだけ緊張しながら言った。 「ゼオ! ごめんね突然。今忙しい?」 「いや、昼休憩中だ。どうしたんだ?」 「お昼はもう済ませた? 準備はできている?」 「まだこれからだ。食堂でとろうと思っているけど。」 「もしかして、決まったものをとらないといけなかったりする? 食品の持ち込みは禁止とか?」 「そんなことはないけど……。どうしたんだよ?」 いい加減答えの見えないやりとりに、ゼオは少しだけ怪訝そうな顔をしてわたしに尋ねた。ごめんねゼオ、とわたしはこころの中で謝って、両手の荷物をゼオに腕いっぱい伸ばして差し出した。 「あの、これ! お弁当作ってきたの!」 「…………。」 「あ、味は保証するよ。わたし、これでもいつも料理してるから。でも、アレルギーとか嫌いとか、食べられないものあったら、残していいから。」 桃色の布にくるまれた四角い包みをゼオは黙って見ていた。わたしの不安はとたんに倍増した。 迷惑だったかな。いやだったかな。 わたしはちらりとゼオを見上げて、おずおずと尋ねた。 「……食べてくれる…?」 「…フェリス!」 「きゃっ」 気づくとお弁当ごとゼオの腕の中である。痛いくらいぎゅーっと抱きしめられて苦しかったけれど、別にいやな気持ちにはならなかった。 ゼオの胸に頬を寄せて、ぼんやりする頭でゼオの声を聞く。 「おれ、今すげーうれしい。ありがとな!」 「う、うん……。どういたしまして。わたしも、喜んでもらえてとてもうれしいよ。」 やっとゼオに放されて、わたしはゼオを正面に見てお弁当を渡した。受け取ってもらえた。 「残さないで全部食べるよ。」 「……うん! ありがとう!」 伸ばした手を引くときに、ゼオの目がわたしの絆創膏だらけの指をとらえた。 「…手……」 「あっ」 わたしははっとする。すぐに出てきた言い訳を、苦笑しながら提示した。 「ベイの練習してるときに、ちょっとやっちゃって。」 「まーた回ってる最中に手で触ったのか?」 「う、うん…。」 そういえばそれはわたしがベイを始めた頃によくやってしまっていたまちがいである。ベイが手元に戻ってくるまで待てない、そもそもじょうずに戻せないわたしは、回っているベイが止まるのを見ることも待つこともできず、回っているベイに手で触れてそれでよくけがをしたものだった。 「そんなこと初心者でもやらないぞ。」 「う……」 ゼオの厳しい指摘に言葉が出ない。 「…………。」 わたしは観念して正直に告白した。 「ゼオにあげるって思ったら、力んじゃったの。わたし、あんまり料理がとくいじゃないから。えへへ。」 いつもしていようと、苦手なものは苦手である。味は問題ないくらいに作れるようにはなったが、少しでも油断したり過剰に注意したりすると、すぐにけがをしてしまうのだった。 「あんま無理すんなよ。心配する。」 「だいじょうぶだよ! これくらい何でもないよ。」 ゼオのがんばっているのに比べたら。 「ゼオこそ、がんばってね。」 「ああ。」 それから少しだけ会話をしてわたしたちは別れた。 「(ゼオ、喜んでくれてよかった。口に合うといいんだけど。)」 こんなことをしていると、何だか本当にふつうの幸せな恋人同士みたいだ。デートして、お話して、お弁当を作ってあげて。幸せだ。 わたしが作ったお弁当をゼオが食べてくれるのを想像しながら、わたしは幸せな気持ちで歩く。 そして重大な忘れ物に気づいた。 「あーっ!」 スプーンとフォークをつけるのを忘れていた。これではゼオがお弁当を食べられない! すぐに方向転換、慌てる気持ちと幸せな気持ちが半分ずつ、急ぐ傍らでわたしは今度は何を作ろうかと考えていた。 また受付で呼び出してもらうのはちょっと忍びない。どうしようかと思いながらさっきの場所に戻ると、そこにはまだゼオがいた。 「(よかった! あ、でも…)」 いたのはゼオだけではなかった。ゼオともうひとり、スーツを着た男の人だ。 格好や話しぶりから考えるに、あれがゼオの話していたジグラットというひとだろうか。 わたしは話が終わるのを待とうと思って、けれども二人の視界に入るのははばかられたから、近くの物陰に隠れた。 「見てたのか、ジグラット…」 「ええ。きみが部外者を連れ込むのは珍しいな、と思ったので。」 「悪趣味だな。」 会話が聞こえてきてしまう。けれどもまったく聞こえないところに行ってしまったら、わたしの気づかないうちに二人ともどこかへ行ってしまうかもしれない。 わたしは内容が分からない程度に声だけが聞こえるように、耳をちょっと塞いだ。 「あの子は?」 「あんたには関係ないだろう。」 だけど、聞かないようにすればするほどこころは声の内容を聞き分けようとしてしまう。それがわたしの話題とあってはなおさらだ。 もしかしたらゼオの本音が聞けるかもしれない。 ここにきて顔を出した正直でずるいわたしを制することができずに、わたしはいつのまにか会話にじっと聞き入ってしまっていた。 「いいえ。大切な適合者の関係者とあらば。きみの力をさらに引き出す大きな要因になるかもしれません。」 「別に、何てことねえよ。」 わたしはどきっとした。そして次の瞬間のゼオの言葉を、わたしは一字一句を意識で追ってこころで聞いた。 「ただ、正宗へのあてつけのためにつき合ってるだけさ。好きでも何でもない。」 |