| ばかみたい、ばかみたい、ばかみたい! ひとりで勝手に舞い上がって。彼女になった気分で。人並みの幸せに浸って。 わたしは結局届けられなかったスプーンとフォークを、自宅に飛び込むようにして入ってからわたしの部屋のわたしのテーブルに向かって、忌々しく思って投げつけた。2本の棒きれがからんからんと音を立てて転がる。まるでわたしみたいにみすぼらしい。 弟たちが家にいなくてよかった。誰もいなくてよかった。わたしはテーブルに突っ伏して泣いた。わたしの頭の隣にはオセロットがずっと鎮座していた。 「フェリスー。いるかー。」 ゼオがわたしの家を訪ねてきた。理由はすぐに考えられる、きっとお弁当の器を返しに来たのだ。 わたしは泣いて泣いて泣きはらした目で玄関扉を見た。きっとその向こうにはゼオがいる。ゼオが、あのいつもの表情で、ずっとわたしが見たいと願っていたあの笑みさえ浮かべて、空のお弁当箱片手に立っているのだろう。 わたしは迷った。とても迷った。長い時間迷った。ゼオが、心配の声をかけてくるくらいには迷った。 その間に鼻をすすったりしてしまったらしい。ゼオの心配の声は確固たる根拠を持ったものに変わった。 「フェリス!? 泣いてるのか!?」 「…………。」 わたしはまだ迷う。 「どうしたんだ、フェリス。何かあったのか? 入れてくれ。」 「…………。」 迷っている。 「開けてくれないと、どうしたのか聞くこともできないよ。入れてくれ。」 「…………。」 迷っている。まだ迷っている。けれどもわたしには、これ以上、ゼオの声を聞いていることができなかった。 結論を出す前に声が出ていた。 「いや、帰って!」 ゼオが扉の向こうで驚愕する気配が伝わった。 「来ないで! 会いたくない、会いたくないよ…!」 「どうしたんだフェリス。いったい…」 「帰って!」 声をあげるうちにまた涙が出てきた。もう枯れたと思ったのに。 「帰って!」 会いたくない帰って帰って会いたくない。そればかりを何度もくりかえすがゼオが立ち去る気配がない。 わたしはとにかく、これ以上、ゼオの声を聞いていたくなかった。だからわたしは扉に歩み寄ってそれを開けた。 「フェリス……」 わたしの顔は涙でぐしゃぐしゃだ。 「何のつもり?」 声も涙でぐしゃぐしゃだ。 「何って、弁当の器を返しに……。うまかったぜ! ありがとな。」 「何のつもりかって聞いてるの。」 「え……?」 「何のつもりで、そんな表情するかって聞いてるの!」 わたしは声を荒げた。ゼオは信じられないようなものを見る目でわたしを見ていた。 わたしはそんなわたしさえも信じられずにただ声を重ねる。 「もうわたしの前に現れないで!」 「フェリス……!」 そのとき、ゼオがわたしを抱きしめた。わたしの嗚咽はくぐもったものになる。わたしの好きなゼオの声が頭上から静かに降ってくるようになる。 「フェリス……。どうしたんだよ。何かつらいことがあったなら、気にしないで、おれに言ってくれ。力になるから。」 大きな声で反論しようにも、ぎゅっとゼオの胸に押しつけられていたからうまく声が出ない。 「フェリス、好きだ……。おまえが悲しいなら、それを取り去ってやりたいんだよ。」 「……そよ…」 「え?」 やっとのことで出た声はそれだけだった。ゼオはわたしを少しだけ離して、それでも放さずに、わたしの顔をじっと覗き込む。目がわたしに、言葉の意味を尋ねてくる。 「うそよ、そんなの!」 わたしはいくぶんか冷静になった頭で言い切った。 「うそよ! ぜんぶぜんぶぜんぶ。ゼオがわたしを好きなのも最初からぜんぶ!」 わたしはゼオの目に向けて言った。 「あなたは最初から、正宗に見せつける何かがほしかっただけだわ。それはわたしじゃなくてよかった。ただ、正宗がいなくなって、トビーが入院して、ちょうどその場にいたわたしが都合良かっただけ。 わたしじゃなくってよかった! あなたはわたしのことなんか好きじゃない!」 「フェリス、それは……」 「違うって言い切れる!? 言い切るならわたしは今ここであなたを信じるわ。言えるなら、言ってちょうだい。」 言えないとわたしは知っている。なぜならわたしはゼオの気持ちを知っているからだ。 わたしが何かを願う長い長い沈黙の後で、ゼオは低く唸るような声でついに言った。 「ああ、そうだよ。そのとおりだ。おれは正宗への復讐のためにおまえを利用したに過ぎない。」 「だったら!」 反射的に言葉が出た。わたしは一拍ののち、反射の続きを引き出す。 「だったらそんなの、無意味だわ。だって正宗はわたしとあなたの姿を見ても何も思わない!」 「そういう問題じゃねえんだよ!」 「じゃあ何!? 正宗へのあてつけにもならないわたしを傍におく意味って何!? ねえ、教えてゼオ!」 「それは…」 けれどもわたしは答えなど求めてはいなかった。そんなもの待つだけの優しさがあるなら、最初からこんなことしていない。 「ばかみたい!」 わたしは自分自身に吐き捨てるように言った。 「勝手に浮かれて、お弁当なんか作っちゃって。ただ形としてあなたに都合の良い彼女を演じていればいいだけだったのに、調子に乗っちゃって、ばかみたい……。 ほんと、ただのばか……。」 「フェリス……」 わたしを見るゼオの目は哀れむような目だった。そんなゼオの手が、伸びて、わたしの肩に触れようとする。 その手にわたしは見覚えがあった。それはわたし自身の手だ。 ここにきて今更わたしは思った。わたしはゼオをかわいそうなひとだと思っていた。それは確かである。そして、もしかしたらわたしはほんとうに、ただの同情でゼオに接していたのかもしれない。そしてそのことで、誰よりも、わたしが癒したいと願っていたゼオを傷つけていたのかもしれない。 その可能性にわたしは絶望した。絶望して絶望してしつくして、わたしは肩に伸びた手を振り払ってその言葉を口にした。こころから愛しいひとに向けて。 「帰って! もうわたしの前に、姿を現さないで!」 「………分かったよ。」 「……フェリス。おまえの言うことは、ひとつだけ間違ってる。」 帰る間際、ゼオが少しだけ振り返って言った。ゼオはわたしを見ていたようだった。 「誰でもよかったわけじゃない。おまえでなければだめなんだ。」 「…………。」 うそだ、うそだ、うそだ。わたし自身でさえもがぜんぶうそだ。 わたしはゼオに都合の良い存在でいいと思っていたはずなのに。それなのに今更、こんなことを言って、ゼオを傷つけている。わたしの言うことがどれだけゼオを傷つけるかよく知っていながら言っている。 だってわたしは知っていたのだ。ゼオの思うこと、ゼオのしようとしていること。それをぜんぶ知っていて、自分がそれの役に立てるのならと、なにも言わないでいただけ。ゼオの役に立ちたかった。 でもそんなのぜんぶうそだったのだ。だからわたしは今こうして激昂している。ほんとうのことを言わないではいられないでいる。 結局わたしは、じぶんが一番大事だったのだ。じぶんが好かれていなければ身を捧げられないただの女だったのだ。 わたしは泣いた。悔しくて泣いた(ゼオに利用されていたことが)。悲しくて泣いた(ゼオに利用されていたことが)。腹立たしくて泣いた(ゼオに利用されきれなかったことが)。悔しくて泣いた(じぶんが最低な人間であることが)。悲しくて泣いた(ゼオを傷つけてしまったことが)。泣いた。 ゼオに好きになってもらえなかったことで、わたしは泣いた。 |
「Good-bye my...」終