今日の練習を終えて帰りの支度をしていたら、ゼオに声をかけられたのである。
「フェリス! ちょっと待てよ。」
「なあにゼオ。珍しいね、ひとりだなんて。」
ゼオと正宗とトビーは仲良し三人組で、いつも一緒だ。けれども今日たまたまゼオが一人でいるからって、別に特に意に介するほどのことではなかった。口ではそんなふうに受け答えしながらも、いつもと同じ日常は変わらない。
ゼオはなぜか周囲を見回して、地殻に誰もいないことを確認してから、妙に改まったようすで口を開いた。
「あのさ、明日、ジムが休みだろ。予定空いてるか? 買い物に付き合ってほしいんだよ。」
「いいよ。いいけど…。なんで? なに買うの?」
わたしのこの質問にだって特に意味なんかなかった。ゼオはとうとうと答えた。
「オイルとかブラシとか、ベイの周囲のもんだよ。ちょっと見直したいから、人の意見も参考にしようと思ってさ。おまえ詳しいだろ。」
「…別に、そんなことないと思うけど。ジムにはたいてい揃ってるから、それお手本にしたりコーチに質問したりしたほうがいいんじゃないかな。トビーに付き合ってもらったっていいじゃない。」
「え、あ、えーと、そうだな。そうだけど。」
「もしかして、トビーは明日だめだったりしたの?」
ゼオは名案だとばかりに手を打った。
「あ、ああ、うん、そうだよ! そうなんだ。ほら、それに、コーチ本人を買い物に連れ回すわけには行かないだろ。店の場所とか教えてほしいから、さ。」
「わたしは連れ回してもいいってこと。」
「い、いや、その…」
ちょっといじわるして返す(いつもされるのはわたしだから)と、ゼオは図星を突かれて困ったみたいな顔をした。そんな反応を見たらすぐに満足してしまったので、わたしは小さく笑って「…なんてね」と、言ってやる。
ゼオがすごく嬉しそうな顔をした。こういうときはただの年相応の男の子みたいだ。
「いいよ! わたしもちょうど、お買い物行かなきゃって思ってたところだし。いっしょに行こう。」
**
待ち合わせは特に何てことはない、朝の少し早めの時間にダンジョンジムの前で会うだけだ。わたしが10分前に着いたらゼオはもういた。二人とも、いつもと特に変わらない格好だった。だってただジムの友達として買い物に行くだけなんだから、それは当然のことだ。とりわけて珍しいことではない。
それなのに、ゼオはいっしょうけんめい考えてきた予定を話そうとするわたしの手を引いて、とつぜん走り出したのだった。
「じゃあ、最初はどこへ行く? あのねわたし考えたんだけど、ここから出発してベイ用品を揃えるんなら、まずは**通りにある店が…きゃっ」
「まずはベイパークに行こう!」
ゼオに無理矢理連れて来られた先はベイパークだった。ここで買うものなんて(全くとは言わないが)ない。わたしは斜め前のゼオにおそるおそる尋ねた。
「ね、ねえ、ゼオ? 今日は買い物で来たのよね?」
「ああ、そうだぜ。でも、買い物に来たからって買い物以外のことをしちゃいけないってことはないだろ? フェリスはベイパークは、いやか?」
「う…」
ゼオはわたしをまっすぐ見つめて首を傾げる。そんな言い方はずるい。すぐにわたしは言い返せなくなって、するとゼオは握りっぱなしのわたしの手を引いて中に入っていった。
「あ、…」
まず最初に、入り口に近いスタジアムの脇に立ってバトルを観ていた少年と目が合った。するとその子は隣の少年の肩を叩く。そしてゼオを指さす。ちょっとした変化に気付いた他の子もこちらを向く。そして、
「ゼオ・アビスだ!」
たった一つの発言が、とたんに周囲に波紋を引き起こした。ゼオだゼオだ! 口々にゼオの名前を呼びながら、何人もの少年少年時々少女がゼオに駆け寄る。
「なんでここに!?」
「なあなあ、オレとバトってくれよ!」
「いいや僕だ!」
「俺も俺も!」
「わっ、…!」
その波があまりに激しかったもので、わたしは外に弾き出されてしまった。まるでどこぞのアイドルみたいにみんなに囲まれるゼオをぼんやりと眺めていたら、ちょっとだけ出遅れながらもわたしのこころに納得が訪れる。
「(ああ、そうか……。ビックバンブレーダーズで。)」
ゼオは、アメリカ代表の選手として、世界大会に出場したのだ。スターブレイカーのゼオ・アビスといえば、今やこの国のブレーダーで知らない者はいない。それが腕前によらずさまざまなブレーダーが集まる地方のベイパークに訪れたのでは、いまのようのあ状態に陥るのも無理はないだろう。
でも、それでも、たとえ世界大会で二位になろうとも、たとえ国中にその名前が知れ渡ろうとも、わたしにとってゼオはゼオ、おんなじジムでいっしょに練習をする、ただの仲良しの友達なのだ。こんなふうに有名人みたいに囲まれているのを見ていると、まるで、どこか遠くの知らないひとみたいに映るのだった。
こんな状態じゃ、二人で楽しくベイパークを回ることもできないな。何だかおもしろくない気になって、わたしはゼオとその取り巻きから離れるために歩きだそうとした。そのときゼオから呼ばれた。
「フェリス!」
振り向く。ゼオの周りの子たちもみんなこっちに振り向いている。そしてゼオはとんでもないことを口走った。
「おれとバトりたいなら、まずはあいつを倒してからにしろ!」
「なっ、なっ。何ですって!?」
途端に、それまでゼオの周囲を固めていた子たちが解けて、一斉にこちらに駆けてくる。まずは俺とだ! オレと! 口々にそう叫ばれて、無責任な発言をしてくれたゼオへの恨み半分、一気に舞い込んできたバトルへの期待半分、わたしは精一杯に大声をあげるのだった。
「い、いいわ! 全員まとめてかかってきなさい、返り討ちにしてあげるから!」
そんなふうに大口を叩いたものの、ゼオを放ってわたしばかりがバトルをしているわけにはいかなかった。(元はと言えば、ゼオがあんなこと言うから悪いんだけどさ。)
だからどうしたものかと考えていたら、実はそんな必要もなかったみたいで、ゼオはちゃっかり、わたしが負かした相手ともバトルしていたりしていた。(あんなこと言っておいて、ずるい!)
たとえ借り物の力だったとしても、今は呪縛から解放されているとしても、仮にも世界大会決勝まで進んだ苦労と努力は並大抵じゃない。ゼオにかなうブレーダーなんて、地方のベイパークにはそう簡単にいるものじゃなかった。
それでも適度にハンデをつけたりなんかして、ゼオはベイパークをめいっぱい楽しんでいた。さすがこういうことがじょうずだと、わたしは思わず感心した。そしてもちろん、わたしだって楽しかった。(ゼオの無茶な振りに困ったのも本当だけど、それに助けられたことのほうが多かった。)
わたしたちがベイパークを後にしたのは、太陽も上りきったころ。そこにいたほとんど全員のブレーダーとバトルをして疲れきってからだった。
「ふうん…なんかしょぼいのも売ってるんだな。うわ、こんなの差したらぎとんぎとんになりそう。」
「でもね、それは長いこと残ってくれるから、保ちがいいのよ。滑りも十分にあるし、…」
「ばっかだなあ。そんな貧乏くせえこと言ってんなよ。それよりこっちの、…ほら、これのほうが使い勝手が良い。」
そう言ってゼオは、細くておしゃれな入れ物に入った、いかにも値段が高いといったていのオイルをわたしの眼前にぶら下げた。
お昼ご飯を済ませてから今度こそゼオとわたしは買い物に来た。たった今見ているのはオイルのコーナーである。
「そうかなあ……これでだって、きれいに細かく差せばいいだけの話じゃない。」
わたしは自分の持っているオイルを見つめて不満げにつぶやいた。それはいつも自分が買っている、ゼオの持っているものに比べたら太くて地味な入れ物に入った、まあ率直に言えば安いものだった。
「そんなでぶな口でか? そんなの忍耐の強い弱いの話じゃないぜ、フェリス。こっちのが明らかに効率が良い。」
「だって高いんだもの…」
「つまり質が良いってことだぜ。」
得意げに言うゼオを見ていたら何だか腹が立ってしまった。
「なによ、なによ! 文句ばっかり! だったら次も、ゼオの言う『質の良い道具』を見せてもらおうじゃない。」
「オーケーだぜ、ブラザー。」
そしてゼオに案内されて次に見に行ったのはブロワーのコーナーだった。ゼオは当然のように、わたしなんかじゃぜったいに手が届かないだろう(それが分かっていたからわたしはそこを意識的に避けていた)、高級な品物の並んでいる区画にあるひとつを手にとった。
「ほら、これ。こういうの。」
「な、なあに、それ!」
ゼオがどこか嬉しそうに見せてくるものがわたしの知っているはずの道具とはまるでかけ離れていて、わたしは戸惑いすら覚えてしまった。それって本当に、空気の力でベイをきれいにする道具? スプレー缶みたいなかたちをしていて、何か悪い薬でも噴き出してしまいそうである。
「スプレー缶タイプのブロワーだよ。手でしゅこしゅこやるよりずっと勢い強いんだぜ。」
その発言のあとにわたしの顔に勢いよく空気がぶつかってきて、わっと声をあげてしまう。そんなわたしを見て、ゼオはサンプルと書かれたスプレー缶片手におもしろそうに笑った。
わたしは不満で唇を尖らせる。そして、
「ゼオ、そんなの使えたんだ。」
「ん、まあな。アカデミーに居たころ、しょっちゅう使ってたから。」
「…………。」
アカデミー。その単語が出たので、わたしは反射的な受け答えをなくしてしまった。すると当然、ゼオも話さない。だけどそんな時間をわたしは長くは続かせなかった。わたしは笑顔を作って言った。
「すっごいね、ゼオ! そんな立派な道具も使いこなしちゃうなんて!」
「あ、ああ、まあな…。道具だけは、いろいろ揃ってたから。」
わたしはまだまだ続けて話す。
「むしろ、わたしよりもずっと、いろんなものに詳しいんじゃないの? わたしはただ、自分のお財布に合わせて工夫して選んでるだけだし。ゼオのためにはならないよ。」
すると、ゼオも平常を取り戻してくれたみたいだった。余裕たっぷりの表情で言ってくる。
「その工夫が聞きたかったんだよ。なあ、フェリスのおすすめのブロワーを紹介してくれよ。」
「そう言っておいて、さっきはさんざん否定されちゃったけどね。」
「まあいいじゃねえか。お互い勉強になるだろ。」
「それも、そうよね。いいわ。だったら、これ!」
わたしは少し右のほうにある、品物を選んで手に取って示した。ゴム球の先に細い管のついた、ずいぶんとこぢんまりとした(でもわたしが慣れ親しんでいるタイプのものだ)ブロワーだ。
「あのね、確かにゼオの言ったのは、パワーもすごいし便利かもしれないけれど、ダンジョンジムにだってそういうすごいのは揃ってるんだから、場合によって使い分けるつもりで、…」
そんなふうにして、 長い間ゼオとベイ用品談義をしながら、そのかたわらでわたしはふと察した。
ゼオの買い物に対して、すくなくともわたしの「詳しさ」とやらは全く役に立っていない。大きな店も小さな店も、場所はすべてゼオが知っていた。道具に対する知識は圧倒的にゼオのほうが豊富だ。そもそも振り返れば、昨日誘われたときからして不自然だった。
ゼオはわざとわたしを連れ出したのだ、それらしい口実まで作り出して。