「あの、コーチ……」
「どうした。」
「は、ハッピーバレンタイン! チョコ作りました。」
「おお、ありがとう。ははっ、教え子に女の子がいるといいもんだな。あいつらはこんな気の利くことはしてくれんよ。」
「それで、みんなのぶんも作ってきたので…、よかったら、配ってください。」




「みんな、今日はバレンタインだから、フェリスからチョコだ。」
「えーっ、ほんとかよ!」
「フェリスありがとう!」
 コーチの手によって、ジムのメンバーにフェリスのチョコレートが行き渡る。おれや正宗のところにも、もちろん。
 口々にほかのやつからお礼を言われ、フェリスがジムに入るまでは一度としてなかったバレンタインデーの盛り上がりも一波すぎたころ、フェリスがきょろきょろとあたりを見回しながらやって来た。
「あれ、どうしたフェリス?」
 正宗が真っ先にランチャーを下ろしてフェリスに反応する。
 フェリスはさも、そこで声をかけられたからこそ立ち止まったかのように振る舞って、正宗に応じた。手に持っていた、他の数多くのものよりひときわ大きく手のこったラッピングの包みを示して言う。
「あ、あのね。これ、まちがえて作りすぎちゃったの、チョコ。だから…」
 あまりにあからさまな手法におれは閉口した。
「(うわ、すっげーわざとらしい。いくら何でも無理があるって、あんな手のかかったラッピング。
 ま、正宗はあほだから、これくらいでいいのか…。)」
 そんなことを思いながら、おれのシャドウシュートの手は止めない。回りくどくて肝心なところで抜けているフェリスとあほな正宗について考えながら、そ知らぬ顔して練習を続ける。
 そこで正宗がとんでもない発言をした。フェリスはもちろんおれも驚いて、思わず振り返って場に参入してしまう。
「! ならそれ、ゼオにやれよ!」
「ええっ!?」
「(なっ……バカじゃねーの!)」
 それが失敗だった。正宗は名案を高らかに掲げて笑顔でおれに迫ってくる。
「なっゼオ。フェリスの手作りチョコほしいよな!」
「いや、おれは別に…」
「なんだよ、いらないってのか?」
 作った本人がいる手前、今の状況の下ではとても「いらない」などとは口にできない。おれは他にどうすることもできずに一歩下がって正宗から距離をとり、フェリスは最初から何も言わずに、大層立派なラッピングのチョコレートの行き先は決定された。




 正宗はコーチに呼ばれてどこかへ行った。おれはそれまでどおり練習に戻った。フェリスはどこへも行かず戻らずただその場に残った。
「…………。」
「……残念だったな。まあ相手が正宗だから。」
 フェリスはがっくりとうなだれまったく動こうとしないが、幸いにもコーチの注意は先程呼び出した正宗に向かっていて、いつものように雷が飛んでくることはない。
 沈黙の中よそからの声とストリングを引く音しかしない状態に耐えかねて、しばらくしてからおれはフェリスに声をかけた。フェリスは力なく頷いて答える。
「うん……。一筋縄じゃいかないことは、分かってたんだけど。」
 いつも以上に自信なく弱々しいその声を聞いて、おれは練習からいったん離れてフェリスに向き直って言った。あほの正宗を頭に浮かべながら解説する。
「や、逆だな。変に手を込ませるからいけないんだ。ストレートにいかなきゃ。」
「………そうだね…。そうできないわたしが悪い。」
 そこで目に入ったのが、結局相手に渡すことの叶わなかったチョコレート。おれはふと思いついたようにフェリスに言った。
「あとで正宗に渡しとこうか?」
「だめっ! そんなの不自然だよ。」
 親切な申し出のつもりだったのだが、そのとき急にフェリスは声を荒げた。それはめったにないことだったから、相当いやだったのだろう。
 しかたがないので申し出をもうひとつ。
「じゃあこれは、おれが食べとく。」
「それもだめっ!」
 するとフェリスは荒いのはそのままに同じことを言った。それは不自然に感じでおれがフェリスを見ていると、すぐにフェリスは荒さを失って「ごめん」と言った。
 そして説明し始める。
「だってそれは、正宗のために作ったチョコだもん。ゼオにはおいしくないよ。」
「…………。」
 まっとうなんだかどうなんだか、よく分からない説明だった。少なくともおれの心にしこりは残る。
「でも、正宗のために作ったチョコ、正宗に食べてほしかったな……。」
「…………。」
 沈黙ののちにフェリスがそんなことを呟くものだから、さらにしこりは大きくなって、存在感を増すのだった。
 なんだか気に入らない。
 おれはたいそう立派なラッピングを開けた。リボンを解いて、口を開いて、中から箱を取り出す。フェリスの家は貧乏だから、こうまでラッピングするのは財布も痛んだことだろう。
「ゼオ!?」
 フェリスが驚愕する前で、止められる前にすばやく箱を開けて中のチョコレートを口に投げ入れた。
 その途端に口に広がるからい味。たぶんこれはとうがらしベースだだろう、などと、あまりのからさに気が遠くなる中考える。
「………。」
 再度降り立った沈黙の中で、フェリスがおずおずと口を開いた。
「ゼオ……。あ、あのねそれ、正宗が好きなからい味にしてみたの。ゼオってあまいの好きでしょ、だから……。み、水持ってくる!」
 次第に声をすぼませ、しまいには踵を返したフェリスの肩を、おれは捕まえて止めた。
「けほっ、けほっ。いや、おいしいよフェリス…。」
 話す最中にも喉は痛いし唇はひりひりする。正宗の味覚はおかしい。
「…ゼオ……」
「フェリスの作ったのだもんな、うまくないわけない。食べられない正宗がかわいそうだ。」
 すぐに意味の飲み込めないフェリスはしばらくはきょとんとしていた。けれどもおれがからいのを我慢してにいっと笑って見せると、ようやく理解したようだ。
「…ありがとう…!」
 だからフェリスは水を取りに行こうとするのをやめた。代わりに違うことを思いついたようで、
「あっ、ちょっと待ってて!」
 と、おれに言い置いてから自分の荷物の置いてあるほうに走って行って戻って来て、両手に持った小さな包みをおれに差し出した。見覚えのあるこれは、フェリスが少し前にジムの皆に配ってもらっていたものだ。
「これ。これは、正真正銘の、余りもの。よかったらもらって!」
 フェリスは満面の笑顔でそう言った。しかしすぐに表情を更新する。
「あっ……余りものなんてやだね。ごめんね。」
 またも身体の向きを変えて、ジムの予定表が書かれているホワイトボードのほうに駆けて行く。そこでマジックを拝借して何かをしたあとでおれのところにまた戻った。
「はい。ゼオのためのチョコだよ!」
 『ゼオへ』なんて、文字が包みに書かれている。おれの名前はフェリスに書くことのできる数少ない単語のひとつだ。
「…………。」
 今度こそおれは言葉を失って、フェリスとフェリスの手の中のチョコレートをまじまじと見てしまった。それはフェリスがジムのみんなのために作ったチョコレートだった。
 そしてやっぱり今度もフェリスは申し訳なさそうになって、おずおずと、おれを覗き込むようにして尋ねてくるのだった。
「ご、ごめんね、めいわくだった?」
「い、いや。ありがとなフェリス。」
 慌てておれはそれだけ言って、おれの名前の書かれたチョコレートの包みを受け取った。それでフェリスは何とか笑顔に戻った。そしてそっと付け加えた。
「そっちはたぶん、ずっとおいしいから。」




 手作りのチョコは店で買ったみたいな味がした。
「(おいしくない……。)」