あの日正宗たちがわたしに会いに来てくれたから、わたしはそれからいつでもどこでもがんばることができた。
 空が青くて雲が白くてお日さまがまぶしい。
 そしてトビーがいなくなった。病気をしたのだという、それも原因不明の。原因が分からないのだから治るかどうかも分からない。長期に渡って入院することになって、ジムに来なくなった。
 二人になった元三人は、大切な友達が欠けてしまったことなど分からないくらいいつもどおりで、むしろいつも以上だった。今までよりもさらに練習に励んだ。
 それでもやっぱり二人は二人であって、三人にはなれない。日数が経つにつれて、少しずつ少しずつ、違和感はわたしの中だけで大きくなっていった。
 そしてあるときわたしは気付いた。そうだ、二人だから違和感があるのなら、三人になればいい!
 いつだってほら、あの輝く美しい三角形を作るために、開いた頂点は闇を覗かせている。そこに入るべき誰かが入るのを待っている。
 そこにわたしが入りさえすれば

「(何かんがえたのわたし。何かんがえたのわたし。もういっかいかんがえてみなさいよ、今度はしっかりわたし自身の頭で!
 いったい何だった? トビーの代わりにわたしがあそこに入れる、だって? トビーの位置をわたしがのっとろう、だって?)」
 わたしは自分自身の図々しさと浅ましさとずるさに戦慄した。恐怖を感じた。怒りを覚えた。
 わたしはずっとトビーに嫉妬していた。女の子みたいにかわいくて、でも男の子としてかっこよくて、ベイが強くて、みんなの人気者で、何よりも誰よりも、正宗とゼオの気を引いてやまない。そんなトビーに嫉妬していたのだ。
 だからトビーのいなくなった今、わたしが代わりになるチャンスだと。その位置を乗っ取るチャンスだと。わたしはトビーの代わりになって正宗に好きになってもらえるかもしれないと考えたのだった。
「(最低だ、わたし…)」
 最低なんて簡単な言葉で片づけられるものではないほど最低だった。だめだった。最悪だった。
 そうしてわたしの心を満たしたのは最初こそ怒りに似た激しく燃える気持ちだったが、次にやってきたのは際限なく沈む気持ちだった。
「(わたしがトビーの代わりになんて、なれるはずないのにね。)」
 わたしはただ落ち込んだ。
 落ち込んだままジムに行き、落ち込んだままベイを回す。もともとうまくないわたしは落ち込んでいたからさらにうまくない。コーチに怒られる。また落ち込む。
 シャドウじゃなくて実際にベイを装着してのシュートの練習をしたあとだった。目標とはてんで違う方向に飛んでしまったベイを拾って元の位置にわたしが戻ったとき、正宗に声をかけられた。
「フェリスどうしたんだ?」
 わたしは驚きのあまりランチャーを落としてしまいそうになった。平気を装って返事する。
「え……どうもしないよ。正宗こそどうしたの。」
「オレはどうもしねえよ。でもフェリスは元気ないだろ。」
「…………。」
 率直な物言いにわたしは二の句が告げなくなる。
 鈍感な正宗にそんなことが分かるわけない。だけど、確かに今わたしには元気があるとはとても言えなかった。
 けれどもやっぱり何も分かっていない正宗は、のんきにこんなことを言うのだった。
「やっぱトビーがいないと寂しいよな。」
「…………。」
 わたしはそこにつけ込もうとしたのだ。トビーがいなくて寂しいとか病気を心配するとかそれよりも前に、自分がトビーの代わりになれるのではないかと喜んだのだ。
 そんなわたしが今、寂しい、と言っても許されるのだろうか。はたしてそれはほんとうの気持ちなのだろうか。
「寂しい、けど…」
「けど?」
 正宗は無邪気に尋ねてくる。そのまっしろなところが今はわたしにはつらかった。わたしは正宗から目を背けて言った。
「…わたし、そんなに良いひとじゃないよ。正宗が思ってるほど。
 もっと悪いこといっぱいいっぱい考えてる。だから、わたしのことはいいの。気にしないで。」
 わたしは少しだけ正宗のほうを見て少しだけ笑う。それでも正宗は納得いかないようだった。
「なに言ってんだよフェリス。よく分かんねえぞ。」
 そんなのよく分かってる。
 でもわたしは言ってしまった。言ってしまったものは戻らないし言おうとするのを止めることもできない。
「いいの! 気にしないで! ほら、あんまりおしゃべりしてるとコーチに怒られちゃう。」
「なんだよ。変なやつ。」
 コーチ、の単語を出したら、すなおな正宗はしぶしぶからだの向きを変えた。わたしはそれを見送って自分の練習に戻る、はずだった。
「…………。」
 変なやつ、でいい。でもほんとうはわたしは悪いやつだ。
 わたしが練習に戻ろうとしたとき、ふいに正宗が振り返って言った。
「あのなあ、フェリスは良いやつだぞ!
 ベイブレード好きだもんな。おまえといっしょにやってて楽しい。オレはおまえのことけっこう好きだ。」
「…………。」
 わたしはあなたのことが大好きだよ、正宗。その言葉ひとつひとつがどれだけわたしのこころを揺さぶるか、まったく分かっていないあなたのことが大好きだよ。
「だからさ、トビーのぶんまでオレたちでがんばろうぜ!」
「無理だよ……。」
 だけどわたしは反射的に言ってしまった。トビー、の名前に無条件で反応してしまった。
 正宗が目を丸くする。
「え?」
「無理だよ、わたしには!」
 こんなに弱いわたしには。
「トビーのぶんなんてがんばれないよ。」
 こんなに意地の悪いわたしには。
「わたしじゃトビーにはなれないよ!」
 ほんとうはこれが一番悲しかった。
 トビーに成り代われないかと考えた、そんな性格の悪いわたしが許せなかったのではない。叶わないことを考えたおろかなわたしに落ち込んだのでもない。ただ、ただわたしは、わたしがトビーにはなれないことが悲しかったのだ。
 わたしはトビーに何一つ敵わない。顔も、性格も、ベイの腕も。その事実を自分自身の手によってことさらに認識させられて、それが一番わたしのこころを苛んだ。
 そして、だから、そんなわたしはほんとうに意地が悪い。
 正宗にこんなことを言ってもしかたがないのは分かっている。でも言わずにはおれなかった。正宗の何も知らない無邪気な瞳と言葉を前にして、わたしは黙っていることができなかった。
 無邪気な瞳は言った。よく分からないというふうに。
「だってフェリスはトビーじゃないだろ。そんなの当たり前じゃん。」
 無邪気な言葉は続けた。何も知らないままに。
「フェリスはフェリスだろ。おどおどしてて暗くて弱虫で、でもなんかたまに何でも言い当てちまう、オレたちの友達のフェリスだ。」
 それでもその言葉がわたしにはこの上なく嬉しかった。わたしはわたし、正宗たちの友達、と言い切ってくれる正宗が、わたしはずっと大好きだった。
「……ありがとう、正宗。」
 お礼を言ったら、何でお礼なんて言うんだよ、って返された。それもそのはずで、ただ正宗は事実を言ったに過ぎなかったのだった。
 だからわたしの心は癒された。奥に毒をもったまま、表面の傷だけが塞がった。
「あ、そうだフェリス。オレさ。」
 今度こそ会話は終わったから正宗が歩きだそうとしたときだった。またも正宗は振り返って、ふと思い出したことをわたしに言う。
「日本に行こうと思うんだよ。あの鋼銀河ってやつを倒すために!」
 しょうしょうめいのナンバーワンになるために!
 正宗の言葉が邪気どころか何もいっさい含まずに空虚にわたしのこころを流れた。