わたしはあの日、正宗に何が起こったのかということを尋ねることができなかった。
 それでもわたしが世界大会決勝戦を観に行ったのは、ブレーダーとしての単純な興味を取り除けば、「正宗とゼオの友達」というポジションをこなすためだ。
 そして第一試合が終わった今、ここは世界大会出場チームの控え室の前である。わたしはガンガンギャラクシーに会いにここに来た。
 どうして、かは分からない。ここに来たわたしは明確な指針を持っていない。だけれどもわたしはインターバルの間何もせず待っていることができず、何かの衝動に突き動かされるままにここに来たのだった。
 中には何人かの人がいるようである。そのことがわたしを一瞬もたつかせ、わたしが扉を滞りなく開けることができなかったせいで、中からの会話がわたしの意識に流れ込んできてしまった。
「…………。」
 わたしは扉を開けることができずに固まった。
 いつぞやのように、緊張して、というのではない。わたしは中で行われている会話が気にかかって、止まらずにはいられなかったのだ。
 HDアカデミー。ハデスインク。ドクタージグラット。アレンジシステム。
 聞こえてくる単語はどれも、わたしがHDアカデミーへ行ってからのゼオについて知りたかったことを説明するものだった。
「(……聞きたくない!)」
 わたしは耳を塞いだ。何も聞かないように、知らないように。それならば最初からここから立ち去ればよいのだが、中から聞こえるゼオの秘密の魔力に取り憑かれたわたしの足はびくとも動かないのだった。
「(聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない!)」
 必死にこころを殺して意識の最下層に潜り込んで、何も聞かないようにする。
 わたしはずっと、現在のゼオのことを知りたかった。今ここで、この部屋の中で、そのゼオの秘密が明かされている。ずっとゼオのそばにいたわたしでも知らなかったようなことが。
 それはわたしにとって魅力あるものだ。けれどもわたしは、それをぜったいに聞きたくないと思う。
 だって、ゼオが明かそうとしないのだ、秘密を。それをどうしてわたしが、人の会話を盗み聞きして、外野から、聞くことができようか。
 わたしはゼオからでなければ何も聞きたくない。
 けれどもそれは上っ面だ。そうして聞きたがらず耳を塞ぐのはわたしのうわべだけだ。だからわたしの足は止まっている。わたしの本心が、ゼオの秘密を聞きたい知りたいと思っている。
 だからせめて、からだは動かなくても、こころだけは奥底にしまって、わたしは中での話が終わるのを待った。
 長い時間が過ぎた。中での会話は終わっていることがわたしに分かった。というのも、わたしは本心では中の会話を聞きたくてたまらなかったからである。
「失礼します…。」
 わたしは控えめに扉を開けた。背の高い大人の男の人の向こうに正宗の姿が見えて、わたしをとたんに歓迎した。
「フェリス!」
「正宗…。えへへ、来ちゃった。」
 入れ代わりに、大人の男の人とその秘書らしい女の子が出て行った。中には正宗と鋼銀河と天野まどかさんとケンタとわたしが残される。
「試合、見てたんだな。」
「うん……。正宗、ついにゼオに負けちゃったね。」
 当たり障りのない、親友同士のバトルの感想としてまちがっていない言葉を選んだつもりだった。
 けれどもわたしの発言の直後に正宗の表情は曇って、わたしはしまった、と思った。
「ああ……。あいつ……」
 わたしは胸がどきりとするのを感じた。いやな鼓動である。
 わたしは正宗とゼオのバトルを最初から最後まで見ていた。一見二人が全力でぶつかりあって、正宗が押して、最後の最後でゼオが逆転して勝利した、熱いバトルを。少なくともこのかんに二人の間でなされたやりとりは観客には聞こえなかった。
 何かがあったのだ、何かが。だからこそわたしは今ここに立っているのだろう。
 わたしは何も聞きたくなかった。だから何も知らないふりして言った。
「強くなってたね、ゼオ! わたし、ぜったいに正宗が勝つと思ったのに。最後の最後で逆転されちゃった。ゼオの底力、すごいね!」
「…ああ…そうだな…」
 そう言う正宗は、奥底に横たわる問題とは無関係なところで悲しい表情をした。わたしはこれにもしまったと思って、慌てて言葉を選び直した。
「でもでも、やっぱり正宗は凄い! ゼオの必殺転技を破ったときは感動したよ。かっこよかったよ、正宗。」
「……負けちまったけどな。」
 何を言ってもだめだと、ここにきてようやくわたしは観念した。正宗はやっぱり悲しそうに笑った。
「フェリス。」
 少しの間のあと、神妙な顔つきになって正宗は言った。わたしのこころが張り詰める。
「ゼオが、さ。」
「(やめて、正宗!)」
 わたしはとっさに耳を塞ぎたい思いだった。けれども正宗の友達としてここに来たわたしにそれが許されるはずもない。
「HDアカデミーで、」
「(聞きたくない!)」
「トビーの病気を理由に、つらい実験を受けさせられていたかもしれないんだ。」
 知ってしまった。
「あいつが急に強くなったのって、変な化学実験のせいだったんだ。ブレーダーの潜在能力を引き出すってやつ。
 それから、トビーが今いる病院は、ジグラットの傘下にあるらしいんだ。ゼオは言ってた。おれが負けたらトビーが死ぬんだ、って。きっとあいつ、トビーの命を握られて、それでHDアカデミーで無理やり……!」
 知ってしまった。今までわたしが意図的に避けてきたことぜんぶ。
 わたしは愕然として立ち尽くした。立っているのがやっとだ。だけどわたしが今まで歩いて来た道はぜんぶ瓦解して、足元はおぼつかなくなっている。今にも倒れてしまいそうだ。
「そうなの…」
「それも知らないで、オレは……!」
 正宗がゼオのことで苦しんでいる。
 なのにわたしには正宗にかけてあげたい言葉が見つからない。
「正宗…」
 知ってしまったそのときから、わたしはこれからどこへいけばいいのか分からなくなっていた。
 今まで積み上げてきたものぜんぶが壊れた。
 正宗の強さは何も知らない強さだ。そしてわたしも今まで何も知らなかったから歩いていられた。
 だけど今、知ってしまった。
 それでも強い正宗はきっと、たとえ今苦しくったって、すぐにまた歩き出すことができるだろう。それにそもそも正宗はただ現実を知っただけで、ほんとうに大切な部分は結局なーんにも知らないままなのである。
 でも、わたしは? わたしはすべてを知っているわけではないけれど、一時日本へ行っていた正宗の知らないことをわたしは知っている。誰もわたしに道筋を教えてはくれない。わたしのよすがとなっていた羅針盤は壊れてしまった。おもしろいおもちゃみたいに針が回転し続ける。
 くるくる、くるくる。羅針盤は止まらない。
 方角を見失ったわたしは、いったいどこへ行けばいいの?