フェリスは目の前のケーキを物珍しそうに眺めていた。おれはそんな彼女を安らか半分不安半分の気持ちで見守る。
「いただきます。」
 と両手を合わせてケーキにフォークをぶすり。一口大を口に運んだところで、フェリスから言葉が消えた。
「…………。」
 無言になって食べる。おいしいから無口になって特別早く、というのでもなく、むしろ警戒に心を浸して慎重に味を確認しながらのようだ。表情もどこか強ばっている。
「(…まさか、おいしくなかったか!?)」
 そんな思いだけがおれの心の中でこだました。入念なリサーチはあくまでリサーチに過ぎない、彼女個人の口に合わなかったとなればそれでおしまいだ。
「フェ、フェリス……」
「…………。」
「フェリス!」
「うん?」
 必死になって呼びかけると、フェリスは口に運んだフォークをそのままに声と目だけで返事をした。
「おいしく、なかったか? それなら別に、むりして食べなくてもいいけど。」
 ここまでいっしょうけんめい繕ってきた、かっこいい彼氏としての姿なんか台無しだ。何よりもフェリスの感想がだいじだったから、おれはおずおずと尋ねてしまった。
「えっ」
 フェリスはまるで意表を突かれたかのように目を丸くした。そんな反応はおれとしても予想外だったわけだからおれの目も丸くなる。そしてしばし向かい合って時間が過ぎる。
「おいしいよ!」
 フェリスがそう言って口を開いたのは突然だった。
「おいしい、おいしいよ、すごく! しゃべるのも食べるのももったいないくらい! わたし、こんなおいしいもの食べたのはじめて!」
「え? でも、すごく固い顔をしてたから…」
 すると「固い顔」は瞬時に崩れて真っ赤に染まった。フェリスは赤い頬を手でばっと押さえた。
「や、やだ、わたし、そんなにへんな顔してた?」
「いやべつにそういう意味じゃ」
「ごめんなさいよく覚えてないの。食べるのに夢中だったから。」
「え…? 無意識だったのか?」
「だっておいしかったんだもん!」
 必死にそう言うフェリスはすべてを物語っていた。赤くなった頬、焦った表情、しっかり握ったままのフォーク、確かに減っているケーキ。おれは思わず笑ってしまった。
「そっか、そっか……」
「いやな気持ちにさせてしまったのならごめんね。あんまりおいしかったから、食べるのに夢中になっちゃったの。」
 しゅんと肩を落とすフェリスはまるで、悪いことをして反省する犬のようだ。その様子におれの何だかよく分からない母性みたいな部分がくすぐられる。いやな気持ちだなんてとんでもない、おれはずっとずっと良い気分でフェリスに言った。
「いいよ、謝ることじゃない。そんなに喜んでもらえてうれしいよ。」
 するとフェリスは明るい笑顔になった。それこそが、おれの見たかった表情である。
「すごくおいしいよ、ゼオ。すごいね、こんなところがあるだなんてわたし知らなかった。つれて来てくれて、ありがとう!」
「これもやるよ。」
「えっ?」
 おれは目の前のケーキを皿ごとフェリスのほうに押し出した。フェリスの目が、色とりどりのフルーツの乗った小さなデザートを映して丸くなる。
「嫌いか? おまえの好きそうなの選んだんだけど。」
「そんなことない! だけど、それ、ゼオの…」
「いいんだよ、おれは。腹が減ってるわけじゃない。おまえのうれしそうな顔見てるだけでお腹いっぱいさ。」
 それは今のおれの気持ちを限りも嘘偽りもなく言い表した言葉だった。これ以上最適な表現なんてないくらいだ。
 けれどもフェリスは引き下がらない。
「…………。でも、こんなおいしいの食べないなんて、もったいないよ。」
 俯きがちになったフェリスの表情は暗い。それは何だかおれのかんに障った。フェリスはうまいもの食べておれはそんなフェリスを見られて、万事うまくいくはずなのに。彼女の優しさと意地がそれをじゃました。
 おれは少しだけ考えた。フェリスの優しさを溶かして意地をどかすその方法を。そしてふと思いついたそれを軽い気持ちでぽんと実行した。
「じゃ、あーん。」
「えっ」
「あーん。してくれよ。」
 あ、の形に口を開けて待つ。出来の良い犬みたいに待つ。
 フェリスは自分の手元のフォークと目の前のケーキと向かいのおれとを何度も何度も見比べて、最終的には手元のフォークで目の前のケーキを刺して向かいのおれのほうへと運んだ。
「……あ、あーん……」
 フェリスはおれを見ようとしない。震える手が持つフォークに刺さるケーキも震えて、けれどもおれはそれをまちがいなく口で捕まえた。
「………。うん。おいしい。」
「うん……」
 フェリスの顔は真っ赤だ。俯いた目線を横に向けて、おれのほうなんてちっとも見ようともしない。まさかここまで照れるなんて思ってもいなかったおれは、良いものが見られた幸運とうまいことフェリスをやりこめた優越感とに自然と笑顔になった。
「な、フェリス。もう一口食べたい。」
「え……」
 フェリスがちらりとだけおれを見た。手が少し動いたようだったが少しだけだった。
 そして先に口が動く。
「べ、べつに……」
 次に手が動く。ケーキを刺すがその後それがおれのほうに運ばれることはない。
 フェリスは自分で自分の口にとケーキを運んで食べた。
「……子供じゃないんだから! 自分で食べられるでしょ!」
「うん。」
 おれは当たり前のように頷く。おれは自分で食べることもできない赤ん坊だったからフェリスに食べさせてもらったんじゃない。
「…だ、だから、これはわたしが食べるわ!」
「うん。最初からそうすればいい。」
「もうっ。いじわる!」
 そうしてフェリスはおれに負けて、しぶしぶながらもケーキを食べ始めるのだった。おれはそんな彼女を見つめる。
「おいしいか? フェリス。」
「うん…。」
「そっか。」
 おれはそんなフェリスを、フェリスの彼氏として、にこにこと笑いながら見つめるのだった。